箱庭の幸せ 3
昼食時の喧噪が落ち着いた頃、俺は早々と帰途につく。仲間の紹介でなんとか雇ってもらったダイナーの主人はこの街では信じられないほどいい人で、俺とルッツの事情を理解してこんな時間に帰ることを許してくれる。実際ここで働けるようになるまで俺達は色々と最悪だった。生きる為に一生懸命で、いつもこの部屋に帰ってくる時は疲れきっていて、あいつに気を使うことも出来なかった。何も覚えていないルッツは不安でしょうがなかっただろうに。本当に酷いことをしてたと思う。
入り口の簡易ロックを外し、手すりがあちこち斜めっている階段を駆け上がる。大通りから少し外れた路地にあるアパート。その2階に俺達は住んでいる。玄関を入るとすぐにリビング兼ダイニング、右手に申し訳程度のキッチンがあり奥にはバスとベットルーム。3人が住むには十分とはいえない狭い部屋だが、俺の今の稼ぎではこれが精一杯なのだ。
自宅のドアを目の前にして軽く一つ深呼吸をする。そうして自分の状態に気をやった。
服装は乱れてないだろうか、髪は跳ねたりはしていないか。
「…ふ」
我ながら馬鹿馬鹿しい行為だとは思うが止められない。だってこの先にいるのはどうしようもなく愛しい人で、だけど自分のことを覚えてなくて。つまり言い方は変だが恋人とこれから初対面を果たすのだ。みっともないヤツだと思われたくない。
「よし。」
一通り自分の格好を確認した俺は僅かな緊張とともにドアを開いた。
最近調子のいいルッツは既に布団を出ていたようで、リビングのソファに腰掛けていた。今まで読んでいたのか手に持った本はそのままに、まっすぐこちらを見ている。
「ただいま。」
「おかえりなさい、ギルベルト…?」
疑問の残る語尾。不安を押し殺して浮かべられる笑顔。
昔のようにそれに深い絶望を感じることはなくなった。今は僅かな切なさが胸を焼くだけだ。
「あぁ、俺がギルベルトだ。ギルベルト・バイルシュミット。ギルって呼んでくれると嬉しい。」
「では、ギル。…キクは昼頃に出掛けた。メモを読んで欲しいといっていたぞ。」
「わかった。さんきゅな。」
ルッツと食べろと言って店の主人がくれたデリバリーをローテーブルの上に置き、上着を脱ぐと適当に壁にかける。キッチンに入りやかんに水を入れて火にかけた。
視線を感じながらも俺は普通に行動するように務めた…普段通りが一番いいのだ。きっとルッツは過剰に心配されたり構われることを申し訳ないと思うだろう、そういう性格だ。俺はそうと気付かれないように、ルッツの様子に全神経を傾けながら冷蔵庫に張られたメモを読む。
進展 あなたのことに気が付いたようす 話してあります
拙い英語で書かれたその内容に目を見張る。これだけではよく分からないが、わざわざキクが書き残したならきっといつもとは違う何かに気が付いたということだろう。よい兆候だ。思わず頬が緩んだ。
まったく、キクが来てからこっち、ルッツに関してはいいことばかりだ。身体面も精神面でも、少しづつではあるが回復をみせている。黒い悪魔だなんてとんでもない、あの子は俺達に舞い降りた天使だ。
ピーーーーッ
やかんの音に意識を引き戻されて、慌てて火を止める。リビングを振り返って声をかけた。
「ルッツ、何か飲みたいものはあるか?」
「…え?あ、あぁ。ではコーヒーを。」
「おぅ。」
一瞬自分が呼ばれたと気が付かなかったのか戸惑う様子をみせたが、特に聞き返すこともなくルッツは返事を返してくれた。あるいはキクから既にある程度は聞いているのかもしれないが。
両手にカップを持った俺がソファに歩み寄ると、ルッツが自然と俺が座れるスペースを空けた。そんなちょっとした動作が嬉しくて、俺はコーヒーをおいてから勢いよくルッツの横に腰掛ける。
「…なんだか、ギルは嬉しそうだな。いいことがあったのか?」
「お〜、あったぜ。お前の横に座れる!」
満面の笑みで告げた俺の顔をルッツはぽかんと眺めると、次の瞬間に小さく吹き出した。
「ギルは、変な人だな。」
「失礼な!俺様は小鳥のように格好いいんだぜ!」
「小鳥のように?ふふっ…やっぱりギルは変な人だ。」
顔を見合わせて笑う。
ーーーー奇跡のような時間。
そんな風に話しながらコーヒーを飲んだ俺達は、狭いアパートを出て散歩に出ることにした。
† † †
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