吸血鬼に仕える人狼の仕事は様々だ。身体能力が高く忠誠心のあつい彼らは、仕える主達が必要とするあらゆる事をこなす。商いをする主ならば交渉や財産の管理を、学問を好む主なら高い教養を、荒事に関わる事の多い主なら裏の仕事を請け負う事もある。
ただし貴族級の吸血鬼になると、そういった特定の仕事を行うものの他にもう一つ必要となる役職がある。それら全てを総括するもの、一般に執事と呼ばれる仕事だ。ルートヴィッヒの父もまたローデリヒの執事である。彼の契約者であるエリザベータとともに屋敷の人狼や商いの為に雇っている人間達の管理をし、同時にプライベートな面でも従者兼ボディガードとして彼の側に控えている。
ギルベルトはその点では非常に異端であると言える。貴族級、その実力はそれ以上であると言われる吸血鬼でありながら誰ひとりとして従者をもたずにいるのだ。もちろん孤独を好む吸血鬼がいない訳でもない。しかしそういった吸血鬼は大抵契約者をもち、二人で静かに過ごしたいと望むものたちだ。永きを生きる吸血鬼にとって孤独と退屈はその身を蝕む毒…人狼も人間も、同族である吸血鬼さえも遠ざけ、契約者すら探そうとしないギルベルトの様子は自殺行為としか思えない。なぜ、と言う問いにも彼は沈黙を保ったままだ。
とにかく理由は不明だがギルベルトに従者はいない。だからルートヴィッヒは全てをこなさなくてはならなかった。幸い彼の屋敷はその身分に不似合いなほど小さく質素で、何でも自分でやるのが当然のようになっていたのであまり手間はかからなかった。ルートヴィッヒの仕事は彼の食事を作り、部屋を掃除し、衣類を用意するなど主夫のような事ですんだ。
掃除はどのような範囲ですれば?とのルートヴィッヒの問いへの答えも、適当に程々に、といったいい加減なものであったが、真面目なこの狼は元々掃除好きなのもあり、主の生活範囲を把握するや否や徹底的な掃除にかかった。
その日もそんな掃除の一環で、先日主を見かけた近くの掃除をしていた。———そして見つけた。その部屋を。


突然声をかけられた事、そして気配を全く感じられなかった事に少々動揺している自分に気付き、ルートヴィッヒは苦笑しながら振り返った。
「言って頂ければ触りませんでしたの、に…。」
笑んでいるはずの主の目が笑っていないのを見て取り、ルートヴィッヒ言葉尻はしぼんだ。
初めて彼に恐怖を感じる。
固まってしまった狼を他所に、ギルベルトは微笑むと彼に近づきぽん、とその肩を叩いた。
「わりぃ。驚かせちまったか?黙って近づくのは悪い癖だな。」
「いえ、そういう訳では…。
私こそ気が抜けていたようで、申し訳ありません。」
「寛いでくれてるってことだろ?いいことじゃねぇか。」
いつもの雰囲気に戻った主にほっとしながらルートヴィッヒは掃除道具を抱え直した。
後ろの部屋が少々気になりはするものの、開かないと言われたからにはそれは入っては行けないというのと同じ事だ。主に逆らい好奇心をあらわにするほど馬鹿ではない。
しかしギルベルトは狼越しに扉をこんこん、とノックするように叩くとにやりといやな笑みを浮かべて聞いた。
「気になるだろ?」
ルートヴィッヒは優秀な狼とはいえ、こういった駆け引きにすんなり答えられるほど老いていなかった。突然思いもよらない問いかけをされ言葉につまり、どもりながらやっとの事で否と答える。
老練な吸血鬼は楽しくてしかたがないと言った様子で、ルートヴィッヒの肩に凭れ掛かって笑った。その指先がいたずらに金髪の襟足を撫でる。ルートヴィッヒは少しくすぐったそうに身を震わせたがそれだけで、あとはぴくりともせずにその身を支えた。
「お前は素直な奴だから特別に教えてやろう。ここは只の書庫だよ。」
「書庫、ですか。」
「そう。ちぃとばかり古い本だからな。悪くならないように温度だの光だのの調整が必要だってんで鍵なんてかけてある訳。分かったか?」
「はい。」
「ここは触んないでいいぜ。滅多に汚れねぇし。
…っていうかお前は掃除好きだなぁ。」
ギルベルトは凭れ掛かっていた身体を離すと、掃除にとられて自分に構ってくれない狼が不満だ、とあからさまな不満の声を上げる。その様子からは先程までの畏怖も妖婉さも消え、ただ子どものような横暴さが残るのみだ。
彼の忠実な狼はくすり、と笑うと芝居がかった動作で主に頭を下げてみせた。
「それは失礼しました。ではこれからは兄さんの側に控える事を優先いたしましょう。」
「よろしい。」
神妙に頷いたギルベルトと顔をあげたルートヴィッヒは目があうと、申し合わせたように吹き出した。なんと楽しいやり取りだろう。
二人でひとしきり笑ったあと、ギルベルトがふと思い出したようにあ、と声を上げた。
「そうだった、俺はお前を呼びにきたんだった。」
「何か御用でしたか?」
「いや、俺がじゃねぇけど。」
「?」
「ローデリヒの奴が遊びにきたからお前も会いたいかと思ってよ。」
「はいぃ!?」
既にこの廊下のやり取りでかなりの時間が経っている。更に他と比べると狭いとはいえ十分な広さをもつ屋敷の中で、この暢気な主が自分を見つけ出すのにどれだけかかったか。
来賓をお待たせした、という事実に血の気が引く。
「なんでもっと早くに言って下さらなかったんですか!?」
「え〜。だってお前と遊ぶのが楽しかったから、つい?」
「お茶を…お出ししているはずがありませんよね。」
「なんであいつ等なんかに俺が。」
「戻ります!」
ルートヴィッヒは先程再び床においてしまっていた掃除道具を慌てて抱えると、早足で歩き出した。こんなときでも走ったりしない所がこいつらしいとギルベルトは思う。

それはルートヴィッヒが屋敷と『兄さん』呼びに慣れだした頃。
少々の畏怖と自ら封じた好奇心とともに、その部屋は妙に記憶に残った。
† † †
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